人々を包み込む、努力と情熱のイタリアンレストラン

JR国分寺駅から徒歩5分ほど、植え込みの木々に隠されるようにそのお店はありました。お店の名前は「Sirena(シレーナ)」、可愛らしい人魚の看板が印象的なイタリアンレストランです。


 2016年に同じ国分寺市内で移転オープンしてきたこちらのお店は、生まれも育ちもガーナの古河サミエルさんがオーナーシェフを務めています。イタリアンレストランでありながら、サミエルさんがこれまで足を運んだ国、食べた料理のニュアンスを併せ持ったお料理の数々が評判ですよ。

サミエルさんは日本に3ヵ月ほど旅行に来たことがあり、そこで日本独特の感性や慣習に触れ、この国で暮らしたいと考えるようになりました。30代の頃に日本語の知識ゼロという状態で来日、2年半ほど日本語学校に通い、そこから飲食の仕事をするためのアルバイトを始めたとのこと。
 もともと祖国で学び、イタリア料理人としての心得があったサミエルさん。だからこそ、日本で暮らすことは、料理人として働きながら暮らすこととイコールだったそうです。

今回は、この国分寺の地から、「シレーナ」のお料理を楽しんでもらいたいと考える、サミエルさんにお話を伺ってきました。

キッチンでの一枚。 (※マスクは撮影のために一時的に外しています)


お話を伺った方/古河サミエルさん

―どうして、この国分寺の地でお店をやろうと思ったんですか?
 もともとは、23区内でお店を持ちたいと思っていました。ですが、なかなか空き店舗もなく、外国人だから貸せない、保証人の問題などさまざまな障害がありました。場所にこだわってもいられないということで、最終的にはここ国分寺まで足を延ばし、はじめは駅から15~20分ほどのところに店を構えたんです。
 日本では駅前のお店が人気ですが、外国人は駅から遠いところにおいしいお店があると考えるところがあります。結果として、駅から離れたそのお店では、50代~60代の方がメインのお客様になり、常連さんになってくれました。ただ、そんな大切なお客様たちもお断りしなくてはならないほど、お店が手狭になってしまい、2016年に今の店舗に移転してきました。国分寺でオープンして、もう12年になりますね。

お店をやるうえでの、こだわりのポイントを教えてください。
 イタリアンのお店ですから、もちろんお料理がおいしいことはポイントのひとつです。日本は世界の中でも料理……食材に厳しいところがあるので、そこを大事にしています。日本人はとても勤勉で、仕事に対して真面目ですよね。そこが、自分には合っていました。海外では仕事も遊びながらやるし、場合によっては適当なこともある。でも、適当に稼いだお金はすぐに失ってしまう。遊ぶときは遊び、働くときは働く。頑張って稼いだお金は大切にする。それも、この国で働くうえでのこだわりでもありますね。
 あとは接客。やっぱり、顔を見て声をかけて、喜んでくれているかどうかを大切にしています。一回このお店に来てくれたら、顔は忘れません。ただ、一度目のお客さんがこのお店を気に入ってくれているかはわかりませんし、必要以上に仲良くしたりはしないけれど、2回目3回目と来てくれたら、そこからは仲良くします。「ああ、このお店を好きになってくれんだな」って。
 それから、たくさんの人魚のモチーフもこだわりかな。お店の名前「シレーナ」はイタリア語で人魚のことです。内装を海の中っぽくしたり、人魚の絵もいっぱい飾っています。

―お店をやっていくうえで、特に苦労されたことはありますか?
 正直、オープンしたときから苦労の連続でした。2年間、家賃の半分ほどしか売り上げもなく、外国人だから借金はできないし、ひたすら貯金を減らしていきました。やめるかどうか考えたことも何度となくあったんです。
 お店をオープンする前ももちろん大変で、料理長になりたいと思ってさまざまなところに勤めましたが、叶いませんでした。イタリア人にも日本人にも「ガーナ人だからダメ」「あなたが開いたお店は半年で潰れる」などと言われてきました。でも、負けたくないと思いました。負けたくないから、頑張ろうと。頑張る人間になろうと思って、自分でやってきました。
 自分で戦うと決めてお店を開き、貯金をすり減らしながら2年、3年と続けてきて……どんどん常連さんが増えました。本当に負けずにやってきてよかったです。うちのお店はリピーターさんたちが強いんです。インターネットの口コミなんかよりも、実際に来てくれた地元のお客さんたちが歩いて噂をする方が早くて、強い。そうやって広まっていったからこそ、あまり目立たないくらいでちょうどいいと思っています。

―お店これからどうしていきたいか、ぜひ教えてください!
 もし、今育てている人が私を信頼してくれて、ちゃんと育ってくれればお店を広げてもいいかなと思っています。2号店みたいな形でね。でも、私みたいな味が出せないのであれば、このままでもいいかなと……。
 ただ、手を広げたいという気持ちは強くあります。それはお金のためではなくて、どうしてもお客さんが入りきらないから。やっぱり、常連さんを大切にして、初めての方をお断りしてしまうことも出てきてしまう。でも、常連さんですら受けきれないような時期もあるので。中央線沿線でもう1店舗、というのを考えていきたいですね。

料理の紹介

シレーナのお料理は、イタリア料理でもどこか田舎っぽい、家庭的な雰囲気のお料理にしているとのことです。都市部のおしゃれな感じとは違い、夜遅い時間に人が集まってきてわいわいやっているようなイメージを大切にしているよう。サミエルさん自身もアフリカ人ですし、さまざまな国を渡り歩いてきているので、単純なイタリアンではなくいろいろな国を合わせた絶妙なニュアンスがあります。
 それも含めて「シレーナ」のお料理。人魚はただのモチーフではなく、料理のアイデアを授けてくれる神様のような存在として、大切にしているそうです。
 そのなかでも、サミエルさんおすすめのディナーメニューを、ワインと一緒にいただいてきました。


日替わりのランチメニューと、ディナータイムのメニュー。どれも食欲をそそられる。

ムール貝の黒こしょう蒸し

この日はとても寒く、身体があたたまるからとおすすめしてくださった一品。スパークリングワインの白(プロドライ)と共に、さっそくいただきました。目を見張るようなその量、そしてまったく縮みのないプリップリのムール貝の身です。仕入れにこだわり、三陸産のこちらのムール貝は身の大きさが自慢とのこと。たっぷりのスープに、くたくたに煮込まれた野菜が入っています。
 黒こしょうが効いていて、口に運んだ瞬間にじんわりとその旨味が感じられました。スープにはブロッコリーやトマト、きゃべつ、そしてムール貝の味わいが溶け出しています。飲めば飲むほど身体はポカポカとしていきます。そこに、冷たく辛口なスパークリングワインを流し、またムール貝を口に運びます。臭みがまったくなく、むっちりした身が本当に美味でした。
 なんと、ムール貝は12個も入っていました。あれこれ食べたいという人たちには、シェアするのがおすすめです。取り皿は深めのものを用意してくださるので、野菜を含めた具はもちろんのこと、スープも余すことなく飲み干したいですね。

牛肉の赤ワイン煮込み タリアテッレ

2品目はパスタを、赤ワイン(マルベック)と共に楽しみます。牛肉のタリアテッレというのはイタリアンレストランではよく出会う一品だと思うのですが、こちらは口に入れた瞬間に笑顔になってしまうほど、ちょっと知っている味とは違うなと感じました。
 ほろほろに煮込まれた牛肉が塊でタリアテッレの上に乗っています。ただ、旨味だけがあってくどさや油のギトギトした感じはありません。変な濃厚さはなく、まるでピースがうまくハマったかのような、おいしさが口の中に広がりました。このタリアテッレは麺に胡椒が練り込まれているので、その風味がパスタにすっきりとした印象を与えているのかもしれません。ほうれん草も影の立役者という感じで、彩りとしてだけでなく非常にマッチしています。
 また、組み合わせた重めの赤ワインとの相性もばっちりでした。ワインに甘みはそこまでありませんが、渋さは抑えめでどこか燻製香がします。時間が経過するほどに、鼻にシルキーさが香って抜けていき、牛肉の濃厚ソースをうまく受け止めてくれました。濃厚でボリューミーに見えるこのパスタですが、驚くほど後味に嫌味がなく、年齢を問わず愛される味のように思います。

ドルチェプレート

最後に、ランチメニューとして提供しているドルチェプレートも食べさせていただきました。オレンジピールの入ったチーズケーキ、カットフルーツ、そしてマンゴーのノンアルコールカクテル。オレンジジュースのように見えるそれは、マンゴーにシナモンを効かせた、大人も子供も楽しむことができるオリジナルドリンクなのです。シナモンの味わいは懐かしさとやさしさを覚えさせます。
 また、チーズケーキは甘さ控えめ。口当たりがよく、オレンジピールのおかげで柔らかなほろ苦さを味わうことができますよ。

どのお料理も工夫を凝らしているのですが、どこか肌になじむ、多面的な要素を持っているように感じました。メニュー自体が尖っているわけではなく、イタリアンの王道を抑えているようなのに、その味わいは包容力抜群です。


 温かみのある内装に一枚板のテーブルが素敵な店内。スタッフの方々が軽快に働き、サミエルさんとお客様の小気味よい会話が聞こえてきます。ちょっとした言葉からも、お客様を大切にしていることが伝わってくるようでした。このお店ならばきっと、イタリアンを食べ慣れている人も、そうでない人も、胸に迫る一品と出会えるのではないでしょうか。

 ぜひ、一度と言わず二度三度と訪れてほしいお店です。その味や雰囲気は、やがて居心地のよさを与えてくれるでしょう。

店舗情報

店名
Sirena
住所
東京都国分寺市本町2-13-9 カーサ・クレール1F
最寄駅
国分寺駅
駐車場
なし
電話
042-401-0755
コロナ禍への対応
定期的な換気、アクリル板、検温
お店HP
https://sirena.favy.jp/
グルメサイト掲載

インタビュアー

黒田侑
日本

 皆さん、はじめまして。東京都下在住のライター、黒田侑(くろだ ゆう)と申します。昔から食べることも作ることも大好きで、友達と珍しい外国料理を食べてまわったり、イタリアンレストランのキッチンで働いたりしてきました。  都心には多く見られる外国料理店ですが、今日は東京23区外のおいしいお店についてご紹介したいと思います。各国の雰囲気を味わいながら、楽しい時間を過ごすお手伝いができれば幸いです。